16.山伏神楽の「鐘巻」―女の鐘入りの原型?

・山伏神楽にも「鐘巻(道成寺)」があった

山伏神楽とはその名の通り、修験道の山伏たちが人々を教化するために演じた芸能で、起源は能楽と同じく南北朝期に遡る。

別名「修験能」とも呼ばれて、長らく山伏によって演じ継がれてきたもので、能の大成以前の猿学や田楽の遺風を伝えるという説もある(つまり素朴な芸風ってことでしょう)。

それが村里に伝承され、地元の神職による神楽に移行したり、また村人の担うところとなったりして各地に広まった、と思われる。

ただし近代に至り、明治政府の「廃仏毀釈」政策で修験道が解体された経緯もあり、現在は東北地方に細々と伝承されている。

その山伏神楽の演目の一つに「鐘巻」―「鐘巻道成寺」あるいは「道場寺」とも呼ばれる―がある。

そのあらすじは、だいたい次のようなもの。

能の「鐘巻」や「道成寺」とは全然違う内容なので、頭を切り換えて読んでみよう。

 

・山伏神楽「鐘巻」の前場―女の鐘入り

こちらも前場と後場の二段構成で、まずは旅の娘が登場する。

彼女は都の布施屋(宿泊施設)の長者の一人娘で、年の頃は12、3歳。

鐘巻寺へやって来て、この寺の別当(責任者)に「日本中の寺や名所旧跡はあらかた参観したが、鐘巻寺だけは見ていないので参詣させてほしい」と頼む。

しかし別当は「当寺は女人禁制だから」と認めず、「早く立ち去れ」と促すが、女は納得しない。

そこで別当はこう言って警告する。

「以前も女が無理に参詣して鐘の緒を押したことがある。すると近くの浅間ヶ岳から鬼神(仏教の守護者)が降り来たり、鐘の音を消してゴーンと鳴らないようにした上、女を鐘の中に巻き込め(突き込め)てしまい、女は鐘の中で異形の者(鬼女)となったと聞いている。だから、禍が起きないうちに早く帰れ」と。

これを聞いた女が「悲しや、女に生まれたばかりに参詣も叶わない」と嘆くので、さすがに同情した別当は「せめて法楽の歌舞を奏上してからお帰りなさい」と譲歩する《→女が舞を舞う展開が出てきたことに注目!》。

女は喜んで法楽の歌舞を披露するが、この歌舞は鐘の音を聞いて悟りを得た喜びを歌ったものなので、舞ううちに鐘を打ち鳴らしたくてたまらなくなって、思わず鐘の緒を押そうとしてしまう。

するとたちまち浅間ヶ岳から鬼神が舞い降りて鐘の音を消し、女を鐘の中に突き込めて、異形の者にしてしまった。

というわけで、鬼神に突き込められる形ではあるが、ここに女が「鐘入り」を果たす展開が出てきた。

 

・山伏神楽「鐘巻」の後場―鬼女と山伏の対決

さて後場では、熊野参詣の山伏が登場。各地の霊山で厳しい修行を積み、霊験あらたかなる山伏は「鐘巻寺の事件を解決した者には褒美を与える」という高札を見て、我こそはとまかり出る。

そして鐘の中に閉じ込められた娘を祈り出し、娘に憑いた邪気も調伏して無事救済。

めでたし、めでたし……という結末になる。

要するに山伏神楽の「鐘巻」は、山伏たちの霊験を宣伝するためのアトラクションとして成り立っている。

この話には恋もなければ、イケメンの若僧もない。女はただ鐘巻寺を参詣して、鐘を撞きたかっただけのことで、女人禁制と止められたのを、無理に撞こうとして鐘の中に閉じ込められ、鬼女にされた。

でもって、ヒーロー山伏が登場して、その霊験を発揮して救ったと。

第16回 般若イラスト

・話は違っても、鐘を巡る動きはそのまんま

だから「道成寺」とは全然違う話なんだけど、舞台展開を対比してみると……、

【前場】女と別当の押し問答→女の舞→鐘入り

【後場】鐘の下から鬼女が現れ→僧(山伏)と対決→僧の祈り勝ち

こうした流れは、能「鐘巻」「道成寺」の構成とそのまんま一致する。

もっと言えば、鐘入りだけに注目して見た場合、能「鐘巻」「道成寺」は「道成寺縁起」より、むしろ「山伏神楽」を下敷きにしていると見たほうが、よほどしっくりくるじゃありませんか。
しかも能「鐘巻」のシテ(女)のセリフの中には、「山伏神楽」の名残りを思わせる節がある……んだけど、そこのところは、また次回に。

 

*参考文献 畠山篤「山伏神楽〈鐘巻〉の復原と鑑賞」(『弘前学院大学文学部紀要』第46号、2010年)

 

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